駅北大火から一年がたった。なんと早い一年だったことか。
本町通りには加賀の井酒造が建ちはじめ、そば処泉家も建築が進んでいる。浜町には共同住宅も建つらしい。復興への兆しが感じられ、元気が出てくる。
私はこの一年、炎を見ることができなくなった。ストーブやたき火の炎の揺らめきくらいならだいじょうぶだが、火事のニュースや動画を見ると息が詰まる。新聞の写真でもだめだ。
何もできず、ただ見ていることしかできなかったあの時がよみがえってきて、つらい。
大火のあと、親戚の年寄りに、留守にしているときは蔵の戸を閉めているかと問われた。
そんな面倒くさいことはしていない。第一、私ひとりの力では、重くて閉められないだろう。
「閉めていません」と答えたら、叱られた。
昔は、長期の留守をする時や風の強い日は、蔵の戸を全部閉めたと話してくれた。初めて聞く話だ。
「風の強い晩は「おまんたうちのおとうさんが、『蔵の戸閉めたか』って。おらうちは女所帯だったそい、閉めに来てくれたもんだ」という。
蔵の戸は一枚ではない。観音開きの塗り込めの土扉、網戸、引き戸と幾重にもなっている。それに土扉を覆う「鞘飾り」や「鼠返し」も外さなければならない。
それでも風の強い日は大火に備えて戸を閉めていたのかと、あらためて防火と減災に気をつけていた糸魚川の風習を思った。

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