私が子どもの頃、朝は必ずおかゆだった。米から炊くのではなく、冷ご飯をかゆにする。
これは町屋の風習で、「糸魚川ふるさとカルタ」の「ま」の札にも、「町屋の朝はおかゆかお菜入り」とある。
糸魚川は火事が多いので、晩ご飯を多めに炊く。夜中に火事があった場合、それを炊き出しとして持ち寄るのだ。被災者や消防団にふるまう。
今のようにスイッチ一つでご飯が炊ける時代ではない。かまどに薪で炊いていたのだ。とにかく腹を満たして力をつけてもらおうというわけである。
おにぎりにしておくという話も聞いたが、我が家ではおひつに余らせておくだけだった。
何事もなく朝を迎えたなら、無事を感謝しつつ、余った冷やご飯をおかゆにして食べる。
かまどではなく電気釜に切り替えても、この習慣は私が大学進学で上京するまで続いていた。白いおかゆにお醤油を垂らして食べるのが好きだった。
六歳違いの妹に聞いたら、曾祖母が亡くなった一九七〇年頃からは止めたようだ。
今でも朝がゆの習慣を守っている町屋はあるだろうか。町屋の朝がゆは火事の多い糸魚川の助け合いの気持ちを表している。